那覇家庭裁判所コザ支部 昭和48年(少ハ)5号 決定 1973年10月04日
少年 Y・O(昭二八・五・二三生)
主文
本人を昭和四八年九月二三日から同年一二月二二日まで大分少年院に継続して収容する。
理由
一 大分少年院長山田豊は昭和四八年八月二五日当裁判所に対し本人を継続して収容すべき旨の決定の申請をなした。申請の具体的理由並びに意見は別紙「保護少年の収容継続決定の申請について」の写しのとおりである。
二 ところで、本件は再度の収容継続申請事件である。即ち、本人は昭和四七年三月二日那覇家庭裁判所コザ支部(琉球政府)において傷害並恐喝保護事件により特別少年院送致の決定を受け同日琉球少年院に収容され、同年一〇月二五日大分少年院に移送せられたが、昭和四八年五月二三日を以て満二〇歳に達しその前日を以て少年院法第一一条第一項に則り収容期間が満了することになつたが同年四月九日同院長より未だ犯罪的傾向が矯正されておらず退院は不適当な段階にあるとして収容継続申請がなされ同年五月一九日同裁判所において同年九月二二日まで収容継続する旨の決定があり、現在収容保護中であるが、右収容継続決定後僅か一ヶ月後に院内において同寮院生三名に対する傷害事件により同年七月一二日起訴され、現に公判中である。このように本人の矯正は未だ教育途上の状態にあり単に形式的な期間の満了の故をもつて社会に復帰させることは大局的にも決して本人に利益をもたらすものとは考えられないので再び収容を継続する必要があるとして本件申請がなされた。そこで当裁判所は少年院法における犯罪的傾向の矯正教育の精神に鑑み同法第一一条は再度の継続収容を許さない趣旨のものではないと解する。
三 そこで、当裁判所は前記大分少年院長及び法務教官永野彰並びに当家庭裁判所調査官玉城清松の各意見に本人の当審判廷における供述更に関係記録を総合して審理するに、本人は前回の収容継続決定後特に心情の変化は認められず、加えて無事故賞、勤勉賞等を受賞し、漸次成績も向上するやに見受けられた矢先の右継続決定後一月目突如、衝動的に、一方的に、同寮の院生三名に対し前記理由記載の暴行をなし、被害者少年の顔面、頭部等を手拳で鼻骨骨折するなど強烈に数回に亘り殴打し被害者等に三日乃至二〇日間の治療を要する夫々の傷害を負わしたことは本人の性格上の最も重大な欠陥であると認められる自己顕示性、衝動性、攻撃的なものの考え方等の資質の偏倚が未だ残存しこれが改善の必要があり、犯罪的傾向はなお矯正の余地のあることが認められる。(傷害事件について本人は日頃から馬鹿にされていたのが我慢できなくなつてやつたと弁解しているが、被害者はいづれも身に覚えのないことで全くその理由が解らぬと逆に憤恣の情がある様子である。まことにその原因は明らかでないが、いくらか、本人の被害妄想か、或いは感情の偏見乃至錯誤に因るものと推認されるが、これは沖繩県人としての言語、生活環境の異和感から生じたものと考えられないこともない。)この事件で本人は二級上に降級し二〇日謹慎を受け、傷害事件として大分地方検察庁に告発され身柄は勾留の上同年七月一二日大分地方裁判所に起訴され本件審判一週間前の同年九月一一日懲役六月執行猶予三年の判決の言渡しを受けた。(本人に控訴の意思はない。)これを転機に本人は罪責を痛感し、年齢的にも成人であることを再認識し、本人自ら自己の研磨と社会への復帰に備えて心の整理するためにも素直に少年院における矯正教育に従う態度が見受けられる。そこでその他諸般の事情を考慮すると現在本人が開展しつつある更生の意欲を更に不動のものにするためには今直に本人を退院させることは却つて矯正教育を竜頭蛇尾に陥す感があり、この際必要最少の期間本人を更に継続して収容することが保護本来の目的を成就させることになると思料する次第である。そこでその期間は三ヶ月が相当であると認められる。
よつて本件申請は理由があるのでこれを認容することとし少年院法第一一条第二、四項に則り主文のとおり決定する。
(裁判官 片岡褝教)